「菜の花まつり」は花より団子、おひたしが美味(17.03)

零細出版人の遠吠え

05/01 昨年末、南スーダンPKO派遣の陸上自衛隊部隊に「駆け付け警護」が付与されたのに続き、このたび稲田朋美防衛相が、自衛隊が平時から米国の艦艇などを守る「武器等防護」の実施を命令したそうです。
これは、「安全保障関連法」(戦争法)にもとづく新任務だそうで、さっそくきょう、横須賀基地の海自護衛艦「いずも」が米海軍補給艦を四国沖まで「護衛する」とのこと。
でも、北朝鮮情勢の緊迫を承け、「共同訓練」の触れ込みで海自艦船が米原子力空母カール・ビンソンに従う様子を見ても、これは「護衛」というよりか、何だか「米艦のお供をする奴さん」のように思えてしかたありませんでした。
ところで、昨夜のNHKスペシャル「憲法70年/“平和国家”はこうして生まれた」は、新たな資料にもとづいて、「憲法誕生の知られざる舞台裏」に光を当てていました─。
敗戦直後の1945年9月4日、昭和天皇が勅語で「平和国家の確立」を明らかにし、憲法改正の調査を命じていたこと、そして衆議院の憲法制定小委員会での社会党・鈴木義男議員の提案に始まる議論から、「国際平和を誠実に希求」するという条文が9条に盛り込まれていったことなどが明らかにされました。
まだ敗戦の記憶の冷めやらないとき、党派を超えて新たな「平和国家」を創ろうとする人々の熱情が、生き生きと伝わってきました。
当時の政治家たちのそんな思いを知るにつけ、現在の政治屋たちの振る舞いが、いかにそこから遠く離れてしまったかを痛感せざるをえません。

04/28 で、きのうは来日中の中国の朝鮮半島問題特別代表・武大偉氏と会談した二階俊博センセ、日本語が堪能な武氏に「通訳は要らない。そう言ったら悪いけど」と言ったところ、武氏から「『要らない』は失言ですよ」と、冗談でやり込められたそうです(毎日新聞)。
いやー、「たへしたもんだよ、蛙の…、見上げたもんだよ、屋根屋の…」。そんな冗談を外国語で飛ばせる人に、私モナリタイ。
これに対して二階センセ、「失言は毎日。仕事だから」などと応じたそうですが、ここはどう見ても、武氏の方に軍配が上がります。「武大偉」だなんて、ただでさえ偉そうな名前ですが、「二階」より上なら「三階」ってことか?
冗談はともかく、「今、マスコミに困っている」とこぼす二階センセの「報道の自由」に対する認識は、あまりにお粗末─。「それの方〔マスコミ〕の首、取った方がいい」だの、「そんな人〔食い下がる記者〕は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ」だのと、何憚ることなく言ってのけるんですから。
そんなこともあるからでしょう、この国の「報道の自由度」は、今年もまた「G7最下位、180カ国・地域中72位」(「国境なき記者団」調べ)の栄冠に輝いています。

04/27 「パンツ大臣」の跡を襲ったからってわけだけでもないのでしょうが、代々「軽量級」とされる復興大臣があのていたらくなら、「重量級」とされる(?)派閥の領袖も、似たり寄ったりのよう─。

「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪いところがあったら『すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい。そんな人は初めから排除して、入れないようにしなきゃダメ。」

事の本質を完ぺきに取り違え、「こんなことになったのはマスコミのせいだ」と言わんばかり。だいたい、「初めから排除して、入れないようにしなきゃ」ならないのは、今村某のような「劣化閣僚」のことじゃないのか?「軽量級」の子分にも引けを取らない、とんでもない言い分です。
それでも気が収まらないのか、派閥の領袖にして自民党幹事長の二階俊博センセは、お口をとんがらせてこうも言います─。

「人の頭をたたいて血を出したという話じゃない。言葉の誤解の場合は、いちいち首を取るまで張り切らなくても良いんじゃないか。
 ちょっと間違えたら明日やり玉に挙がって、次の日首だ。こんなアホな政治ありますか。何でもかんでもやり玉に挙げるやり方は、あまり利口ではない。」

だって、「"あまり利口ではない" 方がお決めになったんだから、仕方ないんじゃない?」とも思うのですが、そう言うあなたこそ、不埒な舎弟のためにそんなに張り切らず、たまには被災地のこと、被災者たちのことに、思いを致してはいかがなものか?

04/26 「バッカだねぇー」は、車寅次郎氏の "おいちゃん" の常套セリフですが、そう言ってみたくもなります─。

「皆さまのおかげで東日本大震災の復興も着々と進んでいる。…これがまだ東北で、あっちの方だったから良かったけど、これがもっと首都圏に近かったりすると莫大な、甚大な被害があったと思っている。」

つい先だっては、原発事故の自主避難者に対し「自己責任だ」と言い放ち(Cf.04/06、04/25)、しぶしぶ発言を「謝罪」したばかりの今村雅弘復興相が、またまたやってくれました。
このご仁、ご自分のバカさ加減が一向にお分かりいただけないようで、「辞任」は遅すぎたくらい。
で、その「バカさ加減の因って来るところは奈辺にあるのか?」といえば、弱者(この場合は東北地方)に対する「救いがたい差別意識」ではないかと思われます。
でも、これは決して今村氏に限ったことではありません─。もっぱら大都市で大量消費する電力を確保するのに、「原発の危険」は過疎地に押し付けてしまう。迷惑千万な「米軍基地の危険」は、地元の民意を踏みにじってまで、狭い沖縄に押し付けてしまう。
今村某氏は、そうした「弱者差別」という政権中枢の本心を、2度もポロッと漏らしてしまっただけなのかもしれません。というわけで、 "おいちゃん" のセリフを投げつけられはしても、「実は正直者なんだ」と言えなくもありません。
だって、思い起こしてもみてください。稲田朋美防衛相や財務省・佐川宣寿理財局長らは、国会の場で、いまだに見え透いた「虚偽答弁」を繰り返していても、決しておとがめを受けることなく、平然としていられるじゃありませんか。
それに、忘れちゃいけません。「森友問題」で尻尾を掴まれたアベ首相夫妻も、「疑惑の解明」どころか、もっぱら「逃げ切り」を図るばかりじゃないですか。
「正直者はバカを見る」ってのは、やっぱりホントなんですかね。

04/25 「3・11原発震災」から6年余、政府は一部「帰還困難区域」を除いて避難指示をほぼ解除、避難者に「帰還」を促しています。そんな中、今村雅弘復興相は、避難指示区域外から避難した「自主避難者」に対して「自己責任」論を振りかざし、あとで撤回を余儀なくされることとなりました。
けさの朝日新聞は、そんな「自主避難」をめぐる当事者たちの複雑な思いを伝えています(「原発事故で自主避難、正しかったか葛藤 細る支援・復興相の自己責任論」)。
自主避難者は子どもたちの将来を心配し、「逃げないで後悔するよりは…」と避難したケースが多いと思われるのですが、一部にそのことが、避難しなかった人たちとの間に微妙な感情のずれを生んでしまっていることも─。
「福島に住むのは今も危険」と考える人もいれば、「私たちは福島に住んでいる。福島を悪く言わないで欲しい」と反発する人もいるのです。
被災地でのそんな人間関係について、福島県三春町の寺の住職にして作家の玄侑宗久さんが「分断を生み出す。それが原発」と喝破しておられる(毎日新聞、4月24日夕刊)のには、心底共感─。

「この6年を、誰もが肯定したいと思っています。福島に残った人には『残って良かった』という気持ちがあり、県外に避難した人も、その決心が正しかったと思いたい。そして双方の立場とも、納得できる材料はたくさんある。」

こうして被災者同士の壁はどんどん厚くなり、あちこちで「分断」が起きているのだ、と。「敵は本能寺に」なのです。
そんな自主避難家族の怒りと涙の6年間を赤裸々に描く岩真千さんの新刊、「旅する蝶」のように:ある原発離散家族の物語が、連休明けにお見えします。

04/24 朝日新聞政治部次長・高橋純子さんが書かれるものは、いつも気っ風がよくて小気味いい。けさのコラム(政治断簡)のタイトルは、「スットコドッコイと愛の行方」。ついつい「何それ?」と引きつけられてしまいます─。

「…この世界に開かれた節操のなさをこそ、私は愛(いと)おしいと思う。
 伝統も文化も国も郷土も、重層的で多面的だ。愛すべき部分も憎まざるを得ない部分もある。いいからとにかく尊重しろ、愛せと言うのは、バカになれと言っているに等しい。右傾化というよりスットコドッコイ化。愛さえあれば生きていけるってか。」

小学1年道徳教科書の検定で、「パン屋」 が「和菓子屋」に替えられた話を軽妙に批判した一文ですが、続いて紹介される、参院内閣委員会での自民党・有村治子議員(元女性活躍相)の質問は、ウーン、まさに「スットコドッコイの極み」です─。

「自衛隊機のスクランブルが昨年度過去最多、中国の脅威が高まっているとのニュース解説にNHKが使った、中国の国旗の下に日の丸を配した画をやり玉に挙げた。『この映像はまさに主権が奪われた状況の属国、隷属したポジションに日の丸を置いている』『中国の方から見れば、中華思想、チャイナファーストを日本の報道が自らやってくれていると見えるのではないか』…大丈夫か。」

筑紫哲也さんがよく言っていた「茹でガエル」のように、毎日毎日のこんな馬鹿げた話の積み重ねが、この国の社会をどんどんおかしな方向へ導いているってことなんでしょうね?