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抜粋 まえがき

一般の市民が社会の不特定多数の人たちに伝えたいメッセージを、自ら番組にして、地上波放送、衛星放送、CATV等で放送するパブリックアクセス、すなわち市民のパブリックな言論空間を放送の中で実現しようとする試みが、近年、注目されるようになっている。
もともと日本では、インターネット人口が2000万人の大台に達した2000年以降、デジタルディバイド、すなわちIT(Information Technology)を使える者と使えない者との間に生じる社会経済的な格差が大きな問題となり、市民の誰もがインターネットを活用してさまざまな情報にアクセスできる情報アクセス権を保障すべく、政府や自治体はこれまでIT講習会を始めとするさまざまな施策を施行してきた。
さらにインターネットというメディアの公共性の要件として、市民が単に多様性のある情報にアクセスできるだけでなく、多様性のある情報を発信できるメディアアクセス権の保障についても認知されるようになり、多くの自治体がかつてのように自治体サイトを立ち上げるだけでなく、政府の補助金がらみでコミュニケーションの要素をより重視したICT(Information and Communication Technology)の活用による地域情報化施策を展開するようになった。具体的な施策としては、電子会議室や地域SNS(Social Network Service)のようなCGM(Consumer Generated Media)によるオンライン・コミュニティを通した電子自治体の推進が挙げられよう。
だがCGMを核にして実際の地域コミュニティと繋がりを持ったオンライン・コミュニティが発展し、そこで市民のコミュニケーションを通して地域コミュニティの抱える課題の抽出や解決がなされ、自治体の政策形成に一定の役割を果たす存在にまで至ったところは、全国的に見ても数少ない。
その背景として意見の対立する地域の問題についてストレートに自らの意見を発信した場合、ブログ同様に地域SNSも合意形成へと向かわず逆に炎上する可能性があり、とくにメンバーが地域コミュニティで顔の見える関係にある場合、それが実社会での生活にまで影響を及ぼす可能性があることが指摘されよう。このため多くの地域SNSでは入会は招待制となっており、そうした敷居もあって会員の中心となっているのは地域に根ざした活動を通して仲間意識を持った人たちだが、裾野が周辺の一般の人たちにまでなかなか広がらないという問題がある。大半の地域SNSがせいぜい数百名程度の会員数で、その中でもアクティブな会員となると数十名程度に過ぎず、自治体の人口の1%にも満たないところが多数を占めている。
このように地域SNSのオンライン・コミュニティの多くは自由に入会できるものではなく、またよりオープンな電子会議室にしても、高齢者を中心にネットにアクセスできない人たちは実質的に閉め出されており、電子自治体への市民参加のツールとして一定の役割は担うものの、その他の地域メディアの役割を代替するものでは決してない。オンライン・コミュニティに所属しない市民が、それ以外の場で地域の問題を共有するためには、市民による情報発信も可能な放送や紙媒体等のメディアは非常に有効なツールで、むしろICTによるオンライン・コミュニティはそれを補完するものとして位置づけられるのではないだろうか。
こうしたことから改めてインターネット同様に公共性を持った放送というメディアの領域で、市民のメディアアクセス権を保障する(パブリックアクセスの制度化)要求が市民メディア関係者の間で高まりつつある。全国各地の市民メディア関係者が参加する市民メディア全国交流協議会では、06年からパブリックアクセス制度化検討プロジェクトを立ち上げ、研究会の開催とともに、政党や議員への働きかけをスタートしている。また04年から05年にかけて、NHKの不正経理や政治介入疑惑が大きな問題となり、受信料の支払い拒否・保留が急増したさいには、市民が公共放送を支えるために支払う受信料(公共財源)の一部を、NHKがカバーしないさまざまな地域コミュニティを対象にした放送(CATVのコミュニティ・チャンネル、コミュニティFM等)の領域での市民参加に充てるべきではないかという声も生まれた。実際に海外では、受信料の一部をパブリックアクセスのための財源に拠出している国もある。
諸外国におけるパブリックアクセスをめぐる状況について見ると、アメリカではすでに30年以上前から、パブリックアクセスは政府、自治体の保障する制度として存在している。
アメリカでは戦後、市民による非営利ラジオ局が各地に展開していったが、ラジオと違って立ち上げと運営にコストのかかるテレビの場合、市民が容易に配信手段を持つことはできなかった。だが60年代に公民権運動が広まる中、テレビ・メディアへのアクセス権を要求する市民の声も高まり、それに対して連邦通信委員会(FCC)は72年に、CATV事業に関する包括的な規則を制定し、市場規模で上位100都市のCATV事業者に、パブリックアクセス・チャンネル(PAC)、教育用のエデュケーショナルアクセス・チャンネル(EAC)、自治体用のガバメンタルアクセス・チャンネル(GAC)の3つの非商用チャンネル(PEG)を、それぞれ設置することと、PAC利用者のために、施設、機材の提供を義務づけた(PEG規則)。またこのとき、市場規模で上位100以下の都市も、自治体がCATV事業者とのフランチャイズ契約の条件に、CATV事業者が編集権を行使しないアクセス・チャンネル設置を義務づけることは自由とされた。
PEG規則は79年に連邦最高裁による違憲判決が下されるが、その後は地域ベースの規則に移行し、そして84年の連邦議会による「ケーブル通信政策法」で、自治体がフランチャイズ契約の条件として、CATV事業者にPEGチャンネル、および地域の企業用の賃貸チャンネル(LAC)設置が要求できるようになった。これ以降、今日に至るまでパブリックアクセスの制度は広く普及することとなる。
ほかにもカナダ、オーストラリア、ヨーロッパではドイツ、フランス、オランダ、北欧諸国、アジアでは韓国、台湾等、パブリックアクセスを制度として保障している国は多い。
一方、日本では、政府、自治体が保障する制度としてのパブリックアクセスは存在しない。パブリックアクセスについて知った志のある放送事業者が自ら保障する形で、放送事業者による番組の編集権を(放送法に反しないかぎり)行使しないPACを設置しているところも、鳥取県米子市のCATV局の中海テレビ放送等、ごくわずかしかない。
だが今後、日本でも2010年の「情報通信法」策定に向けて、放送メディアへのアクセス権の要求が、市民メディア関係者だけでなく、一般の市民の間にも広まっていく可能性は十分にある。
もし将来、パブリックアクセスが制度化された時に重要なのは、それを主体的に活用できる市民が全国で育っていることだろう。そうでないと本来意図したこととは正反対に、放送事業者への規制強化で終わってしまうことになりかねない。
そのためにも今日の市民のメディアアクセス環境の中、各地で展開されているさまざまな実践とそこでの課題について、多くの市民メディア関係者の間で情報が共有され、急な環境の変化に対してもそれぞれの活動が対応できるようにすることは非常に重要である。
この本がそうした各地の市民メディア関係者の間で主要な取り組みを紹介する事例集として活用され、また新たな市民メディアの担い手をめざす人たちに、必要な情報を提供することで、市民メディアの裾野を広げる一助になれば幸いである。

書評 河北新報社 Web日誌 2009年2月20日

http://blog.kahoku.co.jp/web/archives/2009/02/post_201.html

書評 新聞研究 2009年3月号(No.692)

松本恭幸著『市民メディアの挑戦』はコミュニティーFMやインターネット新聞など、日本各地で奮闘する市民メディアの多彩な取り組みを、市民の制作スキル向上やノウハウを会得したスタッフの確保、資金面などの課題も交えて紹介する。著者は武蔵大学准教授で、ネット新聞「JanJan」の編集委員。「2010年の情報通信法策定に向け、放送メディアへのアクセス権の要求が一般の市民の間にも広まっていく可能性が十分にある」と予測し、パブリックアクセスを主体的に活用できる市民の育成が重要と指摘する。また、市民との連携を強める新聞社の取り組みとして、神奈川新聞の「カナロコ」などを挙げている。

書評 信濃毎日新聞 2009年3月8日

市井の人々が不特定多数にメッセージを伝える市民メディア。ミニコミ新聞・雑誌から、自由ラジオ、自主製作映画、パソコン通信へと発展してきた。そして、インターネットの普及などで、さらに広がりつつある。
民間非営利団体(NPO)が運営するコミュニティーFM、住民が番組を作るケーブルテレビ、市民記者が参加するネット新聞、ビデオ作品の映像祭や上映会…。各地のさまざまな取り組みを取材し「その可能性と課題を探る。

書評 図書新聞 2009年4月4日(No.2912)

 市民メディアに関する
 "フィールドワーク"といった趣き

  b新たなメディア構築の可能性を探るb

                           植田 隆

市民メディアというのは、市民が担い手となって、市民が参加して活動するメディア媒体のことを意味する。かつてなら、マス・メディアも同様だが、紙媒体(新聞、雑誌形式)が主流だった。近年では、放送媒体
(FMラジオ、有線放送、ケーブルテレビなど)そして、インターネットヘと展開してきている。
 著者はこうした市民メディアの「歩み」を辿りながら、現状を広範囲にしかも詳細に紹介・分析しながら、今後の市民メディアの方向性を模索している。だから、本書は著者も「あとがき」で述べているように、市民メディアに関する"フィールドワーク"といった趣きがあり、また「市民メディア総覧」といってもいい内容を持っている。
 著者が本書で紹介しているなかで、わたしの関心を惹いたメディアのかたちにふれてみたい。ひとつは、市民参加型インターネット新聞というものだ。新聞社のWebsiteやyahooのニュース面は、よく知られているが、それ以外のインターネット新聞なるものは、あまり馴染みのないものだというのが、正直なところだと思う。確かに、何年か前に韓国発のインターネット新聞「OhmyNews」日本語版の立ち上げが評判(鳥越俊太郎の編集長就任で注目を集めた)になった記憶はある。
 だが、マス・メディアの当初の喧騒をよそに、その後、どうなったかは、誰も関心を持たなかったといっていいだろう。わたしですら、本書でその名を目にするまで、すっかり失念していた。本書によれば、親会社のソフトバンクの経営的判断で「2周年を迎える08年8月末、これまでの市民記者によるインターネット新聞という看板を下ろ」して、現在は、体験型レポートサイト「Oh!Mylife」という、閲覧した感じではコンセプトがよく分からないサイトにリニューアルされていた。さて、この「OhmyNews」より先んじること3年半前の03年2月に、著者も編集委員として関わっている市民参加型インターネット新聞「JanJan」が創刊されたという。
 「編集者が介在し、市民が発信したい情報を記事にして発信するのをサポートするメディアとして、市民記者システムを採用した」ものが、インターネット新聞とのことだ。「JanJan」の場合、「サイトで市民記者を公募し、応募した市民は、(略)『市民記者コード』を遵守する契約を結んで(略)登録したのち、(略)記事を書いて送ることができる」と言う形を採っている。「記者登録画面」には、次のような説明が付されていた。
 「『記者』というと難しい仕事のように思われるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。『JanJan』は『すべての市民は記者である』ということに気づいたことから誕生しました。みんながニュースを発信するメディアです。(略)どんなことでも、あなたがみんなに知らせたいと思うことはニュースです。(略)書き方は新聞や雑誌の真似をする必要はありません。(略)記事を書く時間がない方は、情報を送るだけの市民記者で結構です。その情報に基づいて編集局が記事を作成します。」
 多くの人たちが自前でホームページやブログを持って発信するということが、頻繁に行われている現在、「すべての市民は記者である」というコンセプトは、これまでの紙媒体では考えられなかったものであり、新たなメディア構築として意味あるものになっていく可能性はある。「新聞」というものは、公共性を帯びた媒体であるから、そこには書き手の慈恵性を排除したり、様々な制約というものを課す場合がある。だが市民参加型メディアということを標榜するなら、そこでは市民や生活者に絶えず"開かれている"のでなければならないし、公共性を理由に記事発信に制約を設けてはならないと思う(誹誘中傷は論外だ)。
 著者は市民記者のスキルアップを目指すためには市民記者のコミュニティ作りの必要性を提起しているが、理想をいえば、「JanJan」のようなインターネット新聞が、幾つか立ち上げられて競合していくことが、全体のスキルアップになるのではないかと、わたしなら考える。
 さて、もう一つ例を挙げれば、既に様々なメディアに採り上げられてきた「素人の乱」である。「素人の乱」は、白称、貧乏人・フリーターたちが高円寺の商店街に集まってリサイクルショップや古着屋、飲食店などを運営していて、そのネットワークを総称したものだ。そこでは、地域コミュニティの拠点としてインターネット・ラジオを開設している。「商店街全体の賑わいづくりに貢献しており、地域コミュニティとその外側の人たちを繋ぎ、地域を活性化する重要な役割を果たしている」と著者は述べている。これもまた、市民メディアの新たな"挑戦"といっていいだろう。

書評 西日本新聞 2009年3月22日

 一般市民が情報を発信する市民メディア。近年、コミュニティーFM局、ケーブルテレビ(CATV)やインターネットを使ったテレビ放送などさまざまなメディアが誕生している。大学准教授の著書はそれらを幅広く調べ、その生い立ちや役割、課題、展望などを考察する。

書評 出版ニュース 2009年4月中旬号

 市民メディアとは、各地に誕生したコミュニティFM、「住民ディレクター」によるテレビ、放送への市民参加、インターネツト新聞や放送を通じた市民の情報発信など、市民のパブリックな言論・表現空間のことで、本書は全国に拡がる市民メディアの胎動を追い、その現状と可能性を探る。市民メディアのルーツは、明治時代の自由民権運動だという。活字メディアでいえば、近年のタウン誌などのミニコミがある。ここでは、80年代のミニFMブームから90年代以降のコミュニティFMへの継承、NPOを母体とした局の登場やインターネット・ラジオ局による地域やテーマ型コミュニティの試み、ビデオジャーナリズムなど、実際の市民参加やプロデュースのあり様をレポートすることで、ローカルな枠組みがグローバルな情報発倍・交流に発展するさまを見る。さらに、メディア教育、地方自治への市民参加まで、裾野拡大を展望する。

書評 ジャーナリスト 2009年4月25日

 市民による情報発信の成果を克明な取材で明らかにする

 昨年7月の北海道G8サミット。ここでは市民グループの手により、札幌市内3カ所に市民メディアセンターが開設され、国内外に向けてのインターネット配信、衛星を利用しての映像やラジオ放送の全世界への発信を行った。特にコミュニティー放送の分野ではドイツ、メキシコ、セネガルなどAMARC(世界コミュニティー放送連盟)参加局が多数参加したことも注目される。
 本書は、ここまで大きく発展しっつある日本における市民メディアの歩みをたどり、克明な取材で実態を明らかにした。パソコン通信、ビデオジャーナリストなど前史にわたる部分の後、コミューニティーFMなど市民参加のラジオ・テレビ放送、市民映像祭、上映会、インターネット新聞など充実した現状ルポが続く。そして市民メディアが担う役割、メディア教育などについて分析し、巻末では地方自治への市民参加、ジャーナリズムヘの市民参加など興味深い提言が行われ、市民メディアのネットワークの拡大と、担い手のすそ野拡大が必要だと説いて締めくくられる。
 本書では市民メディアという概念を、電波、ケーブル、インターネットなどの情報ルートの中に確保された市民のパブリックな言論空間の実現、既存メディア空間へのアクセス、市民による情報コミュニティーの形成など動的にとらえている。最近、社会的発言を増したブログへの言及がないのが、私としてはやや不満である。
 メディア発信を試みる市民、そしてメディアのあり方を模索するジャーナリストの皆さんに、一読をお勧めしたい。
                          (隅井孝雄)

書評 総合ジャーナリズム研究 2009年夏号(No. 209)

 一般市民の参加を軸とするメディア活動「市民メディア」は、ブログやSNS、モバイルなど、インターネット環境の変遷とも絡み、その裾野が広がっている。本書では、そのルーツから、阪神淡路大震災後、各地に叢生したコミュニティFM、パブリックアクセスや「住民ディレクター」による地域のケーブルテレビ放送への市民参加、インターネット新聞やインターネット放送を通じての市民の情報発信、市民映像祭・市民上映会の開催、またメディア教育や市民メディア活動など、各地で広がる"市民メディア"を現地に追い、その現状と課題、今後の展望を具体的に説いている。
 著者は、武蔵大学社会学部メディア社会学科准教授、日本インターネット新聞社「JanJan 編集委員。