ホーム
サイト内検索

抜粋 まえがき

 大学での映画講座担当は1997年からである。前年に渥美清さんが亡くなり、『男はつらいよ』を若い人たちの心に残したいと考え、1年間、「寅さん」にしぼって観ては、その魅力を語り続けた。映画講座のなかったその大学では「映画が無料だ」ということで、予想を超える盛況となり、学生のなかから「高い授業料を払って大学で映画を見て遊んでいるとはなにごとだ、しかも寅さんとは、と親から叱責された」という声が聞こえてきて、苦笑させられたこともあったが、2年目は大きな視聴覚教室で開講することとなった。1日2回のリピート講座だった。合わせて数百名の学生がつめかけ、階段教室に座りこみ、それでも足らずに立ち見が出て、教室は熱気に包まれた。
 「寅さん」に学生は笑い、泣いた。映画産業衰退で、映画館で映画を観る習慣がもっとも少なくなった時期とも重なっていたから、人いきれのなかで大型プロジェクターに映される映像を見ながら学生たちに共鳴感が生まれるのを実感して、私はうれしかった。映画はビデオで1人深夜に観るのが最上ではないと私は語ったが、それを納得して受けとめる学生たちが生まれた。やがて『男はつらいよ』だけでなく、チャップリン映画と黒澤明作品をも加えて映画講座を組み立てることになっていったが、それでも「寅さん」人気は衰えることがなかった。若者層一般では、渥美清という希代の役者も少しずつ遠い人になっていくようだったが、大学生は、世間離れしたアウトローに魅了され、履修学生の数は減らなかった。映画サークルもできることになった。
 私は、若いときに優れたクラシック映画を観ることは若者の通過儀礼的意味をもつ、と位置づけるようになっていった。かつての優れた映画を引き継がない薄っぺらな作品が氾濫すれば、映画は衰退し、映画文化を発展的に継承することができない。21世紀になってから、新しい才能や優れた感性が、創る側・観る側に育ってきているのは否定しがたい事実であるにせよ、全体としては、外国の映画文化の歴史をも含めて、日本映画の神髄が発展的に継承されているとは言いがたいのが現状だろう。これでは映画の質的衰退はとめられない。あるいは軽いアニメやバラエティやバトル至上主義のテレビ文化に圧倒されてしまう。優れた映画文化の伝統を誰かが語っていかねばならない。だが、日本の中等教育までには「映像」「映画」はカリキュラム化されず、閉め出されている。せめて大学の一般学生に、少しでも彼らのいう「昔の映画」の良質なものを観る機会をつくっていきたい。そんなことを考えて、いつしか十余年が過ぎていった。
 三重大学から愛知淑徳大学に移ってからも基本的に、その姿勢と講座内容を踏襲した。学生の反応は、熱気がすこし落ち着いた形で、それでも受け継がれた。
 山田洋次講座を担当し続けて10年が経ち、私の教員生活も残り少なくなったのを感じるにつけ、いちど山田監督自身に、「特別講義」をしてもらえればと考えるようになった。有終の美といった言葉も脳裏をよぎった。思い切って打診したところ、時間の調整がついたら名古屋の学生に話をしてもよい、何か面白いワークショップでもできればいいのだが、との返事があった。私は、2008年の講座は、「寅さん」にとどまらず、山田洋次論として構成することにして準備をはじめた。私が顧問をする映画サークルを母体にして、監督を迎える学生実行委員会ができ、期待と不安の入りまじる高揚感のなか、2008年後期の講座を迎えることになった。
 2008年10月30日(木)、大学側の援助で「文化創造フォーラム」主催の山田監督「講演会」ということになり、私の講座生だけでなく、全学学生に開放することになった。かくして山田監督の講演的講義となったが、実質的には監督と講座生七人とのシンポジウム形式となり、結果は大成功であった。学生の参加を求めた山田監督方式が成功の一つの鍵だったろう。

 本書は、愛知淑徳大学での2008年後期に私が担当した「山田洋次論講座」の講義記録である。だが、正確な記録ではない。山田映画の鑑賞、学生の感想文、私の口述、口述を補完する講座通信「Limelight」〔チャップリン映画のタイトル〕に書いた私の文章をすべて合体し、膨大なものになったものをコンパクトにまとめたものである。学生が書いた『男はつらいよ』の短評がかなりの量を占める。現在の大学生が「寅さん」をどう見ているか、山田作品をどのように評価するかについての貴重な証言になっており、彼らの感想文に玉石混交的側面はあるにせよ、ほとんど例をみないものであるとひそかに自負している。現代大学生の映画に向かい合う姿が鮮明に記されたものになっているはずで、これだけは根気よく目を通していただければ幸甚である。
 山田洋次監督の来学特別講義は少しの省略と手直しはあるが、ほとんどを収録させてもらった。ありていに言えば、山田講義と学生の書いたものをコアにして、私の講座内容をぐんと短縮したうえで、1冊の著作にしたものが本書である。大学生など若い人たちにも、古くからの山田洋次・寅さんファンにも手にとっていただければ幸いである。

書評 中日新聞 愛知・岐阜・三重総合版 2010年1月14日

 「寅さん」で人情感じて
  愛知淑徳大吉村教授「山田洋次を観る」出版

 本紙の「一行詩」の選者で、寅さんシリーズ「男はつらいよ」など山田洋次監督の映画作品の研究者でもある愛知淑徳大教授の吉村英夫さんが「作品の楽しみ方をつづった著書「山田洋次を観る」(リベルタ出版)を出版した。
 学生らに山田監督の作品を見てもらい、古き良き日本の姿や人情に触れてもらう吉村さんの講義を一冊にまとめた。「最初は寅さんの型破りな生き方に拒否感すら示す学生も多かった」と吉村さん。時代背景などを説明するうち、人情に厚く、他人を思いやる寅さんに共感を覚える学生が増えたという。
 第5章と第6章には、2008年10月、同大に山田監督を招いた特別講義の模様を収録。学生と山田監督のやりとりなどを掲載し、講義終了後の学生リポートも紹介した。若者の感性に山田監督が直接どう訴えかけたかを紹介している。吉村教授は「山田作品が訴える人の温かさや人を信じることの大切さをより深く知ってほしい」と話している。…                            (久野賢太郎)

書評 毎日新聞 三重版 2010年1月27日

 「生きているっていいものだ」
  映画 寅さんに感じて
  吉村愛知淑徳大教授が講義まとめ「山田洋次を観る」出版

 「寅さん」シリーズで知られる山田洋次監督の最新作「おとうと」が30日に一般公開されるのを前に、映画評論家で愛知淑徳大教授の吉村英夫さん(70)=津市観音寺町=が「山田洋次を観る」(リベルタ出版、2310円)を出版した。3月に定年退官する同大での講義をまとめた。「なぜいま寅さんなのか。『生きているっていいものだ』と改めて若い諸君に感じてほしいと思って山田映画を観るんだ」とつづっている。【高木香奈】

 山田映画研究をライフワークにしている吉村さんは97年に三重大非常勤講師として大学生向けの映画講座を始め、講義録は「チャップリンを観る」「黒沢明を観る」(いずれも草の根出版会)と合わせ、3部作になった。愛知淑徳大の講座では寅さんシリーズや「学校」(93年)「武士の一分」(06年)など10作品余りを学生と鑑賞したという。 今回の本は、学生に配った「講座通信」から08年後期の学生の感想を抜粋。学生が山田映画を鑑賞する中で思ったことや、映画への理解がどう深まったかを記した。
 吉村さんは「平凡な日常に真実を見出す姿勢と人間の善意を信頼するのが山田映画の本質。格差社会や不安定雇用で日常を大切にできない現代社会への批判もこめられている」と実感したという。
 本では08年10月に山田監督を迎えた特別講義の模様も紹介。山田監督は「楽しい」ということの意味、自分の考えを言葉で表現することの大切さを説き、吉村さんは会場の高揚感に驚いた。「学生は生きた授業には主体的に参加すると気付いた。現代教育のあり方について考えさせられた」と振り返る。
 吉村さんは大卒後にいったん、高校教諭となった。「男はつらいよ」(69年)との出会いや、「幸福の黄色いハンカチ」(77年)のシナリオを生徒と国語の授業で読んだことなど、吉村さんが山田映画をどう受け止めたかも紹介している。
 吉村さんは「教育とかかわる映画論は今回が集大成。友人の指摘で『この本は自分史にもなっている』と気付いた。寅さんや山田監督と同時代を生きる人に、若い人が山田映画をどう観たか、自分と重ねながら読んでもらいたい」と話している。

書評 キネマ旬報 2010年3月上旬(No.1552)

 21世紀の若者たちは、寅さん(「男はつらいよ」)をどう見るか? 山田洋次監督作品をどう見ているか? 著者が教鞭をとる大学で行った映画講座での講義。学生たちの様々な意見、山田洋次監督を招いての特別講義「映画を楽しむ」(2008年)などの内容をまとめた一冊。

書評 中日新聞 文化欄 2010年2月24日

 おおむね、批評家の仕事が昏迷し劣化しているので、ユニークな大学の先生の仕事や、在野の研究家の業績が目につきだした。
 古村英夫(愛知淑徳大)の『山田洋次を観る』(リベルタ出版)は、映画芸術を学ぷ大学のゼミが、そのまま公開された恰好で、当の山田監督を招いての特別講義をふくめて、全講義の内容が、学生諸君の発言と併せて収録されており、黒澤明、チャップリンに次ぐ充実した講義録。臨場感あふれる現代大学リポートともなっていて、微笑ましい一書である。(「中部の文芸」清水信)

書評 日刊ゲンダイ 「ザッツ・エンターテインメント」 2010年3月1日

 「いまどきの若者も "いいものはいい" と
  面白さはわかるんです」

 最新作の映画「おとうと」がベルリン映画祭で特別功労賞を受賞するなど、国内外から高い評価を受けている山田洋次監督。そんは山田監督の作品を題材として、2008年に愛知淑徳大学で行った講義の模様を収録した「山田洋次を観る」 (リベルタ出版 2200円)というユニ−クな本が出た。今回は、著者の吉村英夫・愛知淑徳大学教授に、山田洋次監督と作品の魅力についてインタビューした。

 寅さんの名前は聞いたことがあっても、どんな作品に登場し、監督が山田洋次であることを知っている若者は少ないのが現状だ。
 「大学の講義では『男はつらいよ』の第1作から始まり、半年で10本の山田作品を見ますが、平成生まれの学生たちは、自分の身の回りの文化や価値観がすべてで、それ以外のことは無関心。彼らにとって風変わりな寅さんは異星人のようなもの。最初は映画そのものに拒否反応を示す学生も多かったんです」
 しかし、何本か映画を見た後に学生たちが提出したリポートを読むと、「家族」「学校」「武士の一分」と回を重ねるごとに、山田作品の魅力に引きっけられていった。「優れた映画に触れ、テレビを中心としたカルチャーだけが文化ではないと気がつくんですね。また、山田作品に一貫している普遍的な価値観や人情味も次第に理解していく。若者が何を考え、どんな変化を見せるか、その過程をつぶさに追えるのが本書の醍醐味でしょう。読み進めるうちに、若者も捨てたもんじゃない、と思えるはずです」
 吉村氏が大学で映画講座を始めて10年目。ついに山田洋次監督本人による「特別講座」も実現。小津安二郎監督の「東京物語」の冒頭シーンや「男はつらいよ」のワンシーンを題材に、山田監督と学生たちとのスリリングなやりとりが展開する。「次にセリフがあるとしたら、さくらは何て言った? 本当にそんなことを言うか? ダメだ、セリフはもっと短く! なんて、78歳の監督が20歳前後の学生をときに挑発しながら問答するわけだけど、講義が終わったときには映画の見方や楽しみ方がしっかり学生に伝わっている。さすがだなと思いましたね」
 来年で監督生活50年を迎える山田監督は、講義の最後を「見た映画を語れる言葉を獲得すること」「伝える言葉の大切さ」で締めくくった。
「監督は、語るに足る映画を半世紀近く作り続けてきた稀有な人です。先日、5人の学生と『おとうと』を観賞しに行きましたが、彼らはみんな涙を流し、同年代の人にもっと見せたいと口々に言っていました。いまどきの若者だって食わず嫌いなだけで、いいものはいいとわかるんです。山田洋次作品を世代を超えた交流のきっかけにしていただきたいですね」

書評 JANJAN 2010年02月07日
     「今週の本棚」

 私は、寅さんファンの56歳男子会社員です。監督には申し訳ないですがもっぱらテレビやビデオでの鑑賞となっています。渥美清や山田洋次について書かれた本も(5対1位の割合で)読んでいますが、この本は、まず映画(作品)を通して、あなたは何を感じ取るか、何に感動するかと作品中心に1講義1本のペースで学生に見せ、評価と感想文を書かせるという内容です。
 「大学で寅さん映画を観てそれが授業だなんて」「寅さん映画を大学で教えるってどういうこと?」と若干疑問を持ちながら読み始めました。
 寅さん第一作、「家族」、「学校」、「武士の一分」と山田映画のアウトラインをおさらいした上で、5回目は山田監督自身の特別講座「映画を楽しむ」です。学生の代表7名に監督がてきぱきと質問を投げかけて持論を展開します。 
 山田洋次の学生達への突っ込みが鋭くて興味深かった。寅さん第一作でさくらが兄に結婚の許可を求める場面での寅のワンカットに込められた気持ちと映画作りへのこだわり。小津安二郎「東京物語」の冒頭5分くらいを見せて、その中にどのようなことが詰め込まれていたかを学生にたたみかけるように質問していくことで、「ものをよく見なさいよ」「よく見て自分の言葉で語れるようになりなさい」「イメージを言葉ではっきりと分かるように相手に伝えることが大切ですよ」と説く。 
 映画(小説、絵、音楽[表現者])を目指す学生に対して、「自分に正直に、自分が感動した、観たいと思うような映画(作品)を作ること」「いいものにはその人の考え方や思い、人格が現れるもの」と山田監督は答えている。 
 そして、「楽しみには質がある」と。何事でも「おもしろい」と感じるには、ある程度の慣れと知識が必要。また「おもしろい」にもレベルがあります。簡単なことならすぐに慣れてしまい、おもしろさも薄れます。しかし、最初は取っつき難いがだんだんとおもしろさが分かってくる、そして、さらに分かってくると、改めて難しさを感じて、ついには「難しいからおもしろい」ということもあり得る。おもしろさには深さもあるよと、そんなふうに監督は言っているように思いました。 
 本書の著者は、渥美清が亡くなった翌年の1997年から「男はつらいよ」を若い人の心に残したいと考え大学での映画講座を始め十数年。退任の前にぜひ一度、山田監督自身に特別講義をお願いできたらとの思いが通じて自身の講座に山田監督を招き、学生たちに直接山田洋次からのメッセージを伝えることがかなったわけです。 
 「好きこそものの上手なれ」、という言葉がありますが、著者は山田洋次が好きなんですね。それはそれで読んでいて感じるし心地よい。ただ、私は寅さんが好きなのです。正直、寅さんの先が山田洋次であることまでにはたどり着かない。そしてそれは山田監督にとって、たぶん、そう悪くないほめ言葉だと思いますよ、私は。

書評 しんぶん赤旗 2010年03月07日

 人間への共感広げる講義録

 本書は映画評論家として著名な著者が、大学で行った映像文化論という講義の記録をもとに展開される、愉快で深い山田洋次映画論である。
 講義は「男はつらいよ」をはじめ、かずかずの山田洋次監督の映画を学生(女子学生が圧倒的に多い)に見せて、その感想やアンケートを交えながら展開される。そしてその感想に共感したり、切り返したり、付言したりしながら著者の山田洋次論が展開されていく。
 はじめて「男はつらいよ」の第一作を観た学生たちの中には「寅さんが嫌い」「あんな兄がいたらイヤだなぁと思いました」など、寅の奔放な生き方への拒否反応もあった。しかし何作か見ていくうちに、寅さんの心の温かさ、家族のぬくもり」あけっぴろげのコミュニティーのような"とらや"への共感、親和感が広がってゆく。最終作「寅次郎紅の花」への感想の中には「老いていく哀しさと、落ち着いていく温かさを感じました」などというすてきな感想も寄せられる。「たそがれ清兵衛」「武士の一分」なども交えて山田映画を通して、人間への共感と視野を広げてゆく若者たちの姿がまぷしいくらいだ。
 なかでも圧巻は、山田監督が学生たちと強烈に切り結ぷ「特別講義」の記録である。この中で、監督は映画のワンカットごとに、どんなに心血を注いで映像を作るのかを情熱こめて語る。第一作でさくらが博と結婚することを打ち明けられた寅さんの表情を撮る苦心談などは、すごい迫力だ。その芸術家としての厳しさにたじたじとなりながら若者たちは映画、そして人間を観る目を鍛えていぐ。山田洋次映画との関連で、黒澤明、溝口健二、小津安二郎など、日本が誇る名監督たちの仕事と作品にも言及され映画のすばらしさを心ゆくまで味わわせてくれる書である。
             (全国革新懇代表世話人・三上 満)

書評 産経新聞 2010年03月14日

 「寅さん」教材にした映画論

 映画は社会の鏡といわれる。学校ではなく、映画館で世の中の善悪や理不尽さ、人の生きざまを学び成長したと実感する大人は少なくないだろう。近年、映画館離れが進む現代の若者にとって、映画の代替となる鏡は何なのか。
 映画館離れが進むのならば学校で教えてはどうか、と著者は映画講座を企画。2年前、愛知淑徳大学で「山田洋次論講座」を受け持った。本書はその講義記録を中心に編集された映画論だ。
 数ある山田作品の中から著者が教材として「男はつらいよ」シリーズを選んだ点が興味深い。現代つ子に果たして「寅さん」はどう映るのか。
《目まぐるしく動く社会で、それぞれの映画の「賞味期限」は短くなり回転は速くなっているが、チャップリンや黒澤明とともに、山田洋次映画は21世紀を生き続けるに違いないと学生たちは実感していくようである…》
 最初は寅さんの古い価値観を露骨に否定した学生たちが変わっていく様子が面白い。
 4年前、記者は立命館大で山田監督が講師を務めた映像学部の模擬講義を取材した。教材は映画「武士の一分」。山田監督から「あらすじを説明して」と問われた学生はうまく表現できなかった。すると山田監督は「映画を志す者が作品の内容を相手に伝えることができなくてどうする」と厳しく叱責した。講義後、山田監督は「かつては大船など撮影所が映画を学ぶ学校だったが、今はそれに替わるものがない。だから大学に期待したいんです」と語った。
 「山田監督について推測すれば、最新作『おとうと』の評価も気がかりであろうが、若い映画人をどう育て、20世紀の映画を乗り越えていってくれるカツドゥヤをいかに育成するかという後継者の問題にも行き着くだろう」と著者はその心情を代弁する。
 「寅さん」はカイロ大学の教材としても使われているという。「実際の日本社会は人間の優しさが見えてこない。それは映画の中だけで生きているのかも」。エジプト人の指摘は辛辣だが、その現実を知る鏡として私たちは映画を見る必要があるのだと思う。
                    (文化部・戸津井康之)

書評 出版ニュース 2010年3月下旬号

〈「寅さん」映画は、噛めば噛むほど味の出てくるするめだ。山田監督は、コメディからシリアスもの、さらには時代劇まで守備範囲が広く大きい映画作家である〉〈いつか、私はぬきさしならぬ「寅さん」ファンになっていた。それは私が人間観や社会観を変えて、教員としても新しい出発をしなければならないという気分と結びついたものであった〉愛知淑徳大学で2008年、著者が担当した「山田洋次論講座」の講義記録。毎回山田洋次監督作品を鑑賞しながらの学生とのやりとりが読ませる。なかでも山田洋次をゲストに呼んだ特別講義が圧巻だ。山田監督の絶妙なつっこみで学生たちがおろおろしながら、映画を理解することの奥義が分かって興味深い。

書評 朝日新聞 三重版 2010年3月25日

 映画通じきずな説く

 津市に住む映画評論家で愛知淑徳大学教授の吉村英夫さん(70)が「山田洋次を観る」(リベルタ出版)を出版した。「男はつらいよ」などで知られる山田監督の映画を約150人の学生たちと鑑賞した半年間の講義録。3月末で定年退官となるのを前に、ケ一夕イ世代の若者が、人と人とのきずなの大切さを描いた作品を理解していく過程をつづった。
 吉村さんは高校教師を経て、1997年から三重大学や愛知淑徳大で、チャプリンや黒沢明といった名優、名監督の作品を題材にした映画講座を続けてきた。「山田作品の研究はライフワーク」といい、「男はつらいよ」シリーズや「武士の一分」などを取り上げた2008年後期の愛知淑徳大での「山田洋次論」を一冊にまとめた。
 作品や山田監督についての解説と、学生たちが映画を見終わるたびに書く感想文で構成。「男はつらいよ」の寅さんについて、「苦手」「あきれてしまう」という単純な学生の反応が、授業が回を重ねるうちに「人と人とのつながりの大切さを感じる」「温かい感情を抱かせる映画」と変わっていくのが分かる。
 「人と人とのきずなが濃密だった時代を描いて、その復活を説くのが山田映画。他人に無関心な人が増えた平成生まれの学生が、携帯メールでつながる人間関係の希薄さに気づき、この時代の幸せとは何かを考えてくれたのではないか」と吉村さんはいう。山田監督をゲスト講師に招いた特別講義も収録した。             (荻野好弘)

書評 図書新聞 2010年5月1日

 山田洋次の「人情喜劇」は日本映画に燦然と吃立している
 
作品を鑑賞する大学の授業で学生たちのコメントが刺激的

 映画は、面白いと思うものや好きな俳優が出ているといった理由で観にいくということは、世代に関係なく映画へのアプローチとして有りうることだ。映画が好きな人でも、監督にこだわって観る人は、たぶんそれはど多くはないだろう。そのようなこだわり方を作家主義といういい方をする場合がある。クラシック音楽・絵画・小説といったジャンルでは、作家主義的な接し方はむしろ当然のことといっていい。多くのスタッフによって制作されるとはいえ、基本的に映画の場合もまた、作家、つまり映画監督というのは、やはり作品表現の起点をなす存在であることは間違いないのだ。かつて、といっても四十年以上前のこと、東映やくざ映画群を友人たちと語らっていて、誰それの監督作品はやはりすばらしいといったことを述べたら、まったく反応が返ってこなかったということがあった。やくざ映画は、監督名で観るものではなく、定型化された物語に浸るからこそ充足感を得られるのだという思いが、多くの観客にはあったといえるかもしれない。わたし(たち)は、当時、『男はつらいよ』シリーズを、「放浪と定着があこがれあうというテーマ」(本書)に共感しつつ、やくざ映画群のひとつとして、つまり、いうなればやくざ映画喜劇版として観ていたように思う。寅は、テキヤという稼業で、アウトロー的な生き方をしていた。虚構のやくざとそれは同じ位相を抱え持っていたことになるからだ。四十本以上のシリーズで、そのほとんどの作品を脚本のみならず、監督をした山田洋次は、『男はつらいよ』シリーズの高い評判と支持とともに、その名声は、大きくなっていた。とはいえ、シリーズが終了して十五年経過したことになる。現在、二十歳前後の若い世代にとって、遠い昔の映画作品ということになる。
 『男はつらいよ』シリーズを契機に、山田洋次作品へ深い共感を寄せてきた著者が、大学の講義として行った「山田洋次論講座」(08・10・2〜09・⊥・22)を纏めたものが本書である。『男はつらいよ』(69年)、『家族』(70年)、『学校』(93年)、『武士の一分』(06年)、『寅次郎恋歌』(71年)、『寅次郎相合い傘』(75年)、『たそがれ清兵衛』(02年)など、『男はつらいよ』シリーズを中心に十一作品を実際に鑑賞しながら授業が進行されるというのは、なんとも贅沢なことだ。08年10月30日には、山田洋次を囲んでのシンポジウムも行われて、その模様も収録されている。本書は、それぞれの作品論・作品鑑賞となっているのは当然としても、学生たちの短いコメントが収められていて、それがなかなか刺激的であった。『学校』は、夜間中学を取り上げた、いうなれば濃厚な社会的主題を持った作品なのだが、愛知淑徳大学の学生たちは、自分たちの現在と重ね合わせながら率直な感動を表明していたのが、印象的だった。「あんな先生がいる学校だったら、喜んで通うだろうなー」、「夜間中学が存在する事実を知りませんでした。(略)このような映画は大切だと思います」、「授業っていうのはみんなで力を合わせて汗を流すもの」、「こんなよい映画のあと、また退屈な授業があると思うとユウウツです」など、差別や社会的矛盾をテーマとした作品ではあるが、結局は教師と生徒との関係は何かということが、学生たちには切実だったということが、現在的だなと、わたしには思えた。
 著者によれば、「シリーズの初期から最盛期に移行していく契機となる重要な作品」である『寅次郎恋歌』が、学生たちにあまり好感を持たれていないのは意外だった。実は、わたしはこの作品まで、シリーズをリアルタイムで観ている。以後、なぜか『男はつらいよ』シリーズも山田作品も、時代劇三部作以外は観なくなったといっていい(今回、改めて何作か観てみた)。ちなみにわたしが、山田映画で一番好きな作品は、文句なく『吹けば飛ぶよな男だが』(69年)である。涙が止らない映画だった。
 「日本映画に、いわばほんものの人情喜劇がシリーズとして誕生し、半分は自信を持っていたとはいえ、半分は自信喪失しながら、しかし結局、映画作家山田洋次は、新しい決定的な『鉱脈』を発見したのである」と著者はいう。この「人情喜劇」というタームこそ、日本映画のなかで燦然と吃立していると、わたしもまた思っている。
                      (評論家・黒川 類)

福岡県弁護士会「弁護士会の読書」 2010年4月29日

 (http://www.fben.jp/bookcolumn/2010/04/

 日本の大学生も、まだまだ捨てたもんじゃないなと安心できる思いのする本です。
 山田洋次監督のつくった映画を大学の教室で見て、教授からその解説を聞き、さらに学生同士でディスカッションできる。なんてすばらしい授業でしょう。羨ましい限りです。この学生たちはみな幸せです。
 この本には、授業に出た学生の感想文が紹介されていますが、それがまた実によく出来ています。なんといっても感受性が鋭いのです。感嘆、感心、感激というしかありません。その学生たちの前に、本物の山田洋次監督が登場し、対話形式による公演が展開します。
 山田監督のつっこみが実に鋭い。学生たちがオタオタするのも無理はありません。うーん、私だったらなんて答えるかなあ……。自信ないなあ、と、つい頭を抱えてしまったことでした。
 映画『男はつらいよ』は、観客を教化するという姿勢をもたない。人間は善なる存在であり、人と人とはつながっており、家族の絆が人間社会の原点であり、仲間たちがいつくしみ信じあうところから、心休まる世の中は生まれてくるという作者の心情がにじみ出ている。
 映画は、もちろん楽しむために観る。音楽は楽しむために聴く。小説は楽しむために読む。これは当たり前のこと。でも、どういうふうに楽しいかという問題がある。楽しみの質の問題がある。そして、人を楽しませるには、すごい才能と努力と修練がいる。
 『男はつらいよ』の第1作で、さくらが兄に対して結婚したいと言ったときの渥美清のシーン。最初は10秒だったのを、2秒のばすためだけで大騒ぎして撮影した。
 この2秒にこめられたさまざまな思い。ああ、妹が俺に許可を求めている、俺が妹にいったい何をしたのだろうという、そんな寅の後悔と悲しみと、もう一つは喜び、ああ、妹がこんあ幸せな顔をしている、ああ、よかったんだ、そんな内面の葛藤をこの12秒の画面で表現した。
 映画は、そんな想像力を観客に伝える芸術なのである。
 うむむ、たしかに、寅の顔はすごく微妙な表情です。なんとも言えません……。
 大学生の反応が生き生きと伝わってくる本です。それ自体に感動します。良い映画は、10年とか20年たっても、感動があせて消えてしまうことはないのですよね。
 私が『男はつらいよ』第一作を観たのは1969年5月のことでした。五月祭のとき、大教室で観たのです。大爆笑でした。1年近くの大闘争後、まだ殺伐とした雰囲気の色濃い大学で、清涼感あふれるさわやかな風が吹き抜けていきました。
良い本です。一気に読みました。
                       (投稿者 霧山 昴)